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戦史/軍用機

「アクタン・ゼロ」はなぜ太平洋戦争の転換点になったのか

 
アクタン島で回収された零式艦上戦闘機(1942年6月、米軍撮影)

画像:米政府職員(陸軍)による公務中の撮影のため米国では著作権が発生しない、パブリックドメインの記録写真(Wikimedia Commons掲載)。1942年6月、アリューシャン列島アクタン島で回収された零式艦上戦闘機です。

1942年6月4日、ダッチハーバー攻撃に参加した零式艦上戦闘機21型が、地上砲火を受けてアリューシャン列島アクタン島に不時着しました。操縦していた古賀忠義飛行兵曹長は死亡しましたが、機体は湿地に車輪を出したまま転覆したことでほぼ無傷の状態で残りました。1942年7月10日、米海軍のPBYカタリナ飛行艇(機長ウィリアム・セイズ中尉)がこの機体を発見し、太平洋戦争で初めてほぼ完全な状態のゼロ戦が米軍の手に渡ることになります。

回収からサンディエゴでの試験飛行へ

発見後、回収チームは重機を使って機体を湿地から引き上げ、大きく傷つけることなく艀まで運びました。機体はその後、艀でカリフォルニア州サンディエゴ近郊のノースアイランド海軍航空基地へ輸送され、慎重に修理が行われました。1942年10月までに修理が完了し、「TAIC 1」(技術航空情報センター1号機)の識別番号を付けて飛行試験が始まりました。

試験ではゼロ戦を、ロッキードP-38Fライトニング、ベルP-39D-1エアラコブラ、カーチスP-40Fウォーホーク、ノースアメリカンP-51マスタング、ヴォートF4U-1コルセアといった米軍戦闘機と模擬空戦させ、性能を比較しました。

何が分かったのか

試験の結果、ゼロ戦は高速域での右方向へのロール(横転)が鈍く、急降下性能にも制約があることが判明しました。これは軽量化を徹底した機体設計の裏返しであり、防弾装甲や自動防漏式燃料タンクを備えない設計とも関係しています。

この情報は、当時開発中だったグラマンF6Fヘルキャットの設計そのものを大きく変えたわけではないとされていますが、ゼロ戦の弱点を踏まえた戦術・運用知見として米軍パイロットに広く共有されました。ヘルキャットの高い出力とこの知見の組み合わせが、太平洋の航空優勢の天秤を米側へ傾ける一因になったと評価されています。

公開情報の範囲で分かっていること

確認できているのは、(1)1942年6月4日にアクタン島で零式艦上戦闘機が不時着し操縦者が死亡したこと、(2)同年7月10日に米軍がほぼ無傷の機体を発見したこと、(3)サンディエゴで修理・飛行試験が行われ米軍機との比較評価が実施されたこと、(4)試験で得られた知見が米軍パイロットの戦術理解に活用されたこと、の4点です。ヘルキャットの設計変更への直接的な影響度合いなど、資料によって評価が分かれる点は本記事では断定しません。

一次資料・参考資料

本記事は公開されている資料をもとに作成しています。試験の技術的詳細や、その後の各米軍機開発への影響度合いについて、資料間で評価が分かれる部分は断定していません。